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四著「一図でわかる日本古代史」 第四図  _________

 

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「一図でわかる日本古代史」

 

はじめに

元 図 「一図でわかる日本古代史」 

第二図  三つの流れ

第三図 「倭国不記載」とその理由

第四図 「倭」字の読み方の変遷   

第五図 「物部氏」のすべて

第六図 「蘇我氏」の流れ

第七図 白鳥の「飛鳥」

第八図 陰の主役「上宮王権」

 

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第四図 「倭」字の読み方の変遷

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ここでは「倭」字の読み方に注目する。日本書紀は漢文だから漢語で読めば「ゐ」であろう(漢音も呉音も)。ところが、奈良時代以降ほとんど和読され(訓読、振り仮名、返り点など)、ほとんどすべての「倭」字には「やまと」と振り仮名されている。

しかし、この読み方「倭(やまと)」が使われたのは日本書紀の扱う600年間(〜697年)のうち、白村江敗戦で倭国が滅亡した680年以降のたった20年程に過ぎない。それまでは「倭」は総国(あるいは九州倭国)を意味して「倭(わ・ゐ・い・つくし)」と呼ばれ、「倭(やまと)」などと呼ばれたことは無かった。しかし、倭国滅亡後、唯一王権となった天武天皇は「倭(わ)国」を継承したとして「倭(ゐ)国」の漢語国号を継承するとともに、国内では「倭(やまと)」の新当て字・新訓を定めたのだ。日本書紀はその新表記法を600年全体に遡及使用しているので、「倭(やまと)」が昔から使われてきた、と誤解されてきた。

この図では、天武の改変は最下部FGで、それまでの倭国滅亡前はどう読まれていたか、赤番号をクリックすると検証が示されるので、お楽しみいただきたい。

 

 

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第四図 「倭」の読み方の変遷 解説文  (ボタン解説と重複) 

 

721 ❶ 中国史書

中国史書は漢の時代(後漢書)・卑弥呼の時代(魏志倭人伝)から唐の時代(旧唐書)まで一貫して列島を「倭国」と記してきた。その読みは漢音呉音ともに「倭(ゐ)」である。卑弥呼も台与も中国から「倭(ゐ)」とよばれ{倭(ゐ}と自称したはずだ。

日本書紀はこの時代の記述に「倭」を多用し、「やまと」と振り仮名しているが、すべて古代の伝承「やまと」に書紀編者が「倭」字を当て(天武改字令)、奈良時代の振り仮名付き写本が「倭(やまと)」と振り仮名したのだ。

「日本の国号」坂田隆 青弓社 1993年 参照)

ただし、後代注記に「魏志倭人伝」引用「倭女王」があるが、さすがこれには「倭(わ)」と振り仮名している(例えば岩波版)。魏志が「倭(やまと)」と読ませたとは考えられないからだ。

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722 ❷ 「大倭(たいゐ)

仲哀らの協力を得て熊襲征伐し、九州統一を果たした倭国は台与倭国を継承した。その勢いを駆って半島征戦に乗り出し、応神時代に百済・新羅を圧倒した。

これら諸国は中国に倣って倭国と呼んできたが、倭国は魏の自尊称「大魏」に倣って「大倭(たいゐ)」と自尊称し、相手にも使わせた(漢語、百済記(神功紀)。

この自称を倭国は好んで滅亡まで使った。中国はこれを不遜と嫌ったためか、中国に対しては引き続き「倭国」を使った。

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723 ❸ 「大倭(たいい→たい)」

この自尊称は半島にだけ使い、国内でも使ったらしいことが斉明紀からわかる。国内だから「大倭(たいい)」と和語読みしたらしい。それを示す「正倉院御物法華義疏」にある署名「大委国(たいいこく)上宮王」の例がある。「委」は「倭」の佳字であろう。また、遣隋使が使った自称「俀(たい)国」からも推察される(隋書)。

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724 ❹ 倭の五王の「倭(ゐ)」

中国宗への遣宋使は「倭(ゐ)」を使ったことが宋書からわかる。中国は「大倭」を倭国の不遜として嫌ったからであろう。

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725   遣隋使の自称国号「俀(イ妥、たい)」

対等外交を目指した遣隋使は「倭国」は使わず国内自称尊号「大倭(だいゐ →たいい → たい) 」(和語化)から更に好字を選んで「俀( (たい)国」として対隋対等国書を出した。しかし、煬帝の老獪な外交一年つぶされ「倭国」に戻った。

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726 ❻ 「大倭(つくし)」

「大倭」は長年使われ和語化が進んだから、「大倭(つくし)」と訓読(同意和語読み)された可能性が高い。「大倭」を大和人が「九州」「九州倭国」を指す例から、「大倭(つくし)」の訓読を推測する。その根拠は後年の天武の「やまと」への新当て字「倭(やまと)」だ。

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727 ❼ 「大倭(おおやまと)」

「倭国」が滅亡し、国都国が「つくし」 から 「やまと」になったから、訓読「倭(つくし)」を「倭(やまと)」に変えた(天武)。

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728 ❽ )「倭(やまと)」

天武は「大倭国」の継承を狙ったが、中国と対立し、唐と連携した新羅との外交も途絶えたから、「大倭国」の外交国号も和語国号「大倭(おおやまと)」も出番が無く、使われなくなった。そこで「大倭(やまと)」が残り、国都国「倭(やまと)」だけが残った。後年それを「大和(やまと)」に再当て字変更して今日に至っている。

 

第四図  解説文    了

 

 

 

 

はじめに

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