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四著「一図でわかる日本古代史」 第三図 _________
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「一図でわかる日本古代史」
第三図 「倭国不記載」とその理由
日本書紀は「倭国不記載」の方針で編纂されている。その動機は「対唐外交への配慮」だと考えられる。
倭国滅亡後、日本国を建国した文武天皇は遣唐使を派遣して「朝貢外交」を願い出た。唐の反応は「倭国は唐と戦った敵だ(白村江戦のこと)。日本国は倭国と同じ国か、もしそうなら敵だ。そうでないと言うなら、そのような国史を提出せよ」と迫られた様だ(旧唐書)。倭国と日本の関係、大和・日本の(及び腰ながらの)参戦を知り尽くした上での唐の建前論である(遠交近攻策)。
「倭国など無かった」も「倭国と日本は敵対した」も不実記載となる。唐はそれを知っていた。だから「倭国不記載」とするしか無かったのである。では何が不記載とされたのか、後世の我々は何を補完して日本書紀を読めば良いのか。次図で点線左側の半白部分がそれである。そこの赤ボタンクリックで「何が不記載とされたのか」の解説文が示されます。@ クリックから始めてみていただきたい。
第三図 「倭国不記載」とその理由
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