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35 話  白鳥が飛んだ飛鳥  ヤマトタケル物語 

 

ヤマトタケルは東国を征しての帰路、尾張で病没すると白鳥(しらとり)となって大和に戻った、更に飛んで河内古市邑(大阪府羽曳野市古市)に留まった、とあります(景行紀)。そこに飛鳥(前期飛鳥=近つ飛鳥、後期飛鳥=奈良明日香村飛鳥とは違う)があったからでしょう。いまも飛鳥部(あすかべ)神社(羽曳野市)があります。

 

「飛鳥」の「鳥」は「白鳥」だった、こんなロマンを歴史の面から検証してみましょう。

 

 

白鳥神社 大阪府羽曳野市古市 大阪府神社庁HPより

 

● ヤマトタケルは景行天皇の太子

景行天皇には太子が三人もいました(古事記)。大和から各地に遠征し、治めた国々の新王としてそれぞれの元王の王女などに生ませた皇子三人をそれぞれの国の後継太子にしたのです。三人とは「ヤマトタケル」(吉備系?)・「成務天皇」(景行と同じタラシ系)、「イリ系太子」(崇神と同じイリ系)です。

 

背景説明として前半四節で、歴代天皇と他王権との関係を示します。なぜなら、このテーマは卑弥呼・倭国・上宮王家がからむからです。

 

 

●  神武・崇神・景行は(実は)並立

天皇の在位を、定評ある記紀の年代修正「古事記崩年重視(下図青数字)・在位崩御年令の二倍年歴修正(赤数字)・神功紀の干支二巡繰り上げ・一世代平均23年差」で修正すると、景行の在位は300332年、崇神の在位は288318年で、神武の在位270300年頃と重なるから三系は並立です、記紀は万世一系としていますが。

 

年代修正後の歴代天皇 三系は並立

 

「三天皇が並立」、ということは「神武国・崇神国・景行国 は 別の国」と解釈されます。強引な解釈ではありません。前節で「はつくにしらす」の別名を持つ天皇が二人もいました。「一国に二人の建国者がいるのはおかしい、どちらかが嘘だ」と学者さんは主張しますが、別国ならそれぞれに建国者がいるのは当然です。また、次節のような傍証もあります。

 

● 「京」は大王の都   前話から

ヤマトタケルは熊襲征伐をしています。クマソタケルからタケル名を献上されています。父の景行天皇も熊襲征伐しています。なぜ、はるばる九州まで行っているのでしょう。それを解く鍵が景行紀にでてくる「京」字です。

「京」字の記紀初出は崇神紀十年です(下図中央@)。前話で次の様に検証しました。

 

「崇神は神武と同族のニニギ系王族。半島から新着して肥前飛鳥に土地を与えられた漢人系渡来人(阿知一族ら二千人)の一部を倭国から分与されて引き連れ、神武東征の第二陣として大和に送り込まれました。四道将軍派遣の成果で大王となった崇神は自都を京(漢風の都名)と名付けた」、と。

 

崇神系が渡来系と誤解されるゆえんです。しかし、崇神臣下の漢人の勧めで「京」字を初使用した可能性は十分あります。漢人にとって「京」は普通名詞でなく「大王の都」だったようです。

 

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「京」字から推測できる「大王」達 

 

「崇神の京(前話)と景行の京(次節)が大和で並立している」、これは「二国が別の国」の傍証といえるでしょう。

 

● ニニギ国王も大王に  第三陣 景行・ヤマトタケルの活躍

景行紀の熊襲征伐譚に二回「豊前の京」が出ます(紀次出・四出、左端A)。そこに滞在して、南征して日向を取り戻し、「大和の京」に帰還しています(紀三出、右端B)。

 

これは、景行の熊襲征伐前から豊前に「京」があったことを示しています。豊前(関門域を含む)の王はニニギ系です。「神武が関門海峡域に残した一族」が大王になっていたことを示唆しています。それは、第二陣崇神の東征が成果を挙げて、派遣元のニニギ系王も大王に昇格したからでしょう。

 

崇神東征が成功して、ニニギ系大王は直ちに第三陣として景行を派遣し、景行/ヤマトタケルが東征・征西に大活躍しました。

景行は西征で熊襲征伐・日向奪還(ニニギ南征ルートとほぼ同じ)に成功しました、派遣元がニニギ系大王であることを示唆しています。

 

その成功で景行も大王となり、大和の都を京と称していますB

 

●  ホアカリ系王も大王に

景行が大王になり自都を「京」Bと称し、彼を派遣したニニギ系大王がいて自都を「京」Aとしているならば、その兄弟国(兄国)のホアカリ系王も大王となり自都を「京」Cとしていないはずがありません。のちに九州年号(倭国年号とされる)「倭京(わきょう、漢語、618622年)」があります。ちなみに、孝徳紀「倭京(やまとのみやこ、和語)」がありますが、こちらは天武の新当て字令による遡及表記です。

ホアカリ系/ニニギ系の大王たち

 

景行の西征(320年頃か)の終わった頃に、ホアカリ系王・ニニギ系王は「台与系九州倭国」を再統一して、ホアカリ系王は九州倭国大王となり、ニニギ系王は豊前〜日向を治める大王となったと考えられます(仮に前期 豊前大王とします、)。大和景行の大王を含めて「三人の大王」が居た、と解釈できます。これが「三人の大王(おほきみ)」(第23話)の始まりでしょう。

 

応神・仁徳の出自は豊前ニニギ系で、半島征戦で大活躍し、戦後には凱旋帰還兵、半島人捕虜、渡来人を引き連れて東征し、乱れた大和の三王権を継承する形で大和を再統一しました(東征 第四陣)。応神・仁徳大王国の都は(仁徳の半ばまで)豊前京(DE、仮に中期 豊前大王とします、次話につづく)、その後(410年頃)仁徳が河内に遷都したと考えます。

 

以上、背景説明でした。本題に入ります。

 

●  ?ヤマトタケルも渡来人を引き連れていた

ヤマトタケル(景行太子)は亡くなった尾張から白鳥(しらとり)となって大和に、次に河内古市(大阪府羽曳野市)に飛んだ、と冒頭に紹介しました(景行紀)。大和は自分の本拠だったからでしょうが、次の古市はなぜ? 

 

この地は渡来系の集まる地域で、後年も招致漢人技工が河内飛鳥に来ています(応神紀・雄略紀、第2)。いまも河内古市に飛鳥部神社(羽曳野市)があります(記紀の「前期飛鳥=近つ飛鳥」)。

白鳥がここに飛来したのは、ヤマトタケルの仲間・兵士の多くがこの地から出征した渡来系だったからでしょう。

白鳥(ヤマトタケル)飛んできたのは「近つ飛鳥」(前期飛鳥)

 

●  河内飛鳥の故地

白鳥は河内飛鳥に飛来しましたが、さらに天に昇って消えた、あります(景行紀)。それは、河内飛鳥渡来人の「亡くなった出征兵士が故地飛鳥に帰った」という渡来人の「望郷の思い」、共に戦った兵士を弔うヤマトタケルの気持ちの表現でしょう。

 

故地は肥前飛鳥です。更なる故地は半島であり、中国でした。

 

280年頃まだ卑弥呼・台与系倭国の時代、混乱する半島から渡来した後漢系王族劉阿知(りゅうあち)ら(扶余系も多く含む)2000余人(応神紀二十年条)は肥前に土地を貰い(吉野ヶ里の近く、現佐賀みやき町)、自分たちを渡り鳥(白鳥)になぞらえてその地を「飛鳥(ひちょう、漢語)」と名付けました。扶余系も飛鳥の一角に集まり住み、朝鮮語で安宿(あんすく、韓語)と名付け、それらを在来人は「飛鳥(あすか、漢語表記・韓語聞き読み)」と聞き、書くようになったと考えます(第2)。

 

九州肥前の  故地 飛鳥                    崇神の遠つ飛鳥  景行の近つ飛鳥 

 

●  大和王権の遷都  白鳥(しらとり)のように

「筑紫君磐井の乱」(527年)を征伐した大和継体系(安閑〜)は磐井から奪った肥前の故地飛鳥に遷都し(534年、記紀の「中期飛鳥」、第2)、そこで即位した推古は大和小墾田宮(大和明日香村)に帰還遷都しました(603年、第1)。

しかし次の舒明・皇極は肥前飛鳥に再遷都し(629年、第3)、斉明(皇極重祚)はそこから大和に再遷都して「飛鳥(あすか)」と地名移植しました(656年、記紀の「後期飛鳥」、第1)。これが現在の明日香村飛鳥(あすか)です。

 

飛鳥の変遷  九州肥前の「故地飛鳥」 ? 大和の「前期飛鳥」 遠つ飛鳥・近つ飛鳥(履中紀・雄略紀)

      「中期飛鳥」(=肥前 故地飛鳥、推古紀・舒明紀・皇極紀)

  大和明日香村の「後期飛鳥」(斉明紀〜)    .

 

このように大和王権が繰り返し遠くに遷都するのが平気なのは、多く使った渡来人が遠方移住に慣れていたからでしょう。渡来人は渡り鳥のように、狭い九州に留まる気がなかったからです。

 

●  ヤマトタケルの白鳥は飛鳥に戻った

景行・ヤマトタケル父子は肥前飛鳥(ひちょう、漢語)を故地とする渡来人を多く使いましたが、ニニギ系を引き継ぐ東征第三陣として東に西に活躍した「列島統一の立役者」だったのです。

 

「ヤマトタケルの白鳥が渡来人の故地肥前飛鳥に帰った」、と述べましたが、「ヤマトタケルの白鳥は、自分の祖の故地日向に帰ったのだ」とも考えられます。

 

なぜなら、ヤマトタケルの祖ニニギの故地は「日向国」(宮崎)、その地名の元地は「筑紫日向」(門司)、更に遡った祖イザナギの故地は「筑紫日向の小戸」(彦島小戸)です。

「白鳥は自分の故地日向に帰ったのだ」と解釈する方が、正しいのかも知れません。

 

この一連の説話「クマソタケルからタケル名を献上された」「相模で失ったオトタチバナ姫を信濃碓井で、我妻(あずま)はや、と振り返った」などを「古代ロマン説話の傑作」と愛好するのももっともですが、その裏の史実を理解すると、もっと広大なロマンが含まれていたことに気付かされます。

 

 

35話     了

 

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